最近日の出が遅くなって来たなぁって感じません?
同時に日の入りは早くなって来ているから、毎朝のルーティーンと夕方の家事は気忙しくなって来たかも。
少し前までは、ちょっと寝坊するとお日さんはとっくに登っていて、ガンガンに熱くなった太陽がくっきりと見えていたし、目覚めた時からモワーっとした空気でイヤーな気分になっていた。
ここ数日は曇りがちなものあるけど、空気感が変わってきてる?
目覚めもいいし、爽やかな乾いた空気。
それに日差しが随分柔らかくなっていて、数週間前とはずいぶん違う気分。
といった感じで、ここ精華町の季節も進んでいることが感じられる。こんな中途半端な季節の一場面をお伝えします。
毎朝のウォーキングで季節を感じる
前にも書いたけど、毎朝ウォーキングをすることが日課になっている。
ご来光を正面に見ながら歩いていると、何とも言えない有難い、尊い、幸せな気持ちになる。
日が昇るちょっと前の空は、幻想的で時には胸が詰まるほど感激することもあるほど。
ハワイとか、ニューヨークとか、パリなんかでウォーキングしたらカッコいいだろうな、って思うこともあるけど、今私毎朝歩いているコースはそれを凌ぐくらいステキ!
毎朝同じような時間に家を出て、約7キロで1時間余りだから、速足なんですよ。
だから、帰るころにはいい汗かいてます。
その間、同じ人に大体同じ場所で出会う。
「おはようございます。」
名前も知ら無し、行きなのか、それとも帰る途中なのか?分からないけど、やっぱり挨拶って気持ちいいですよ。
そして、中途半端な田舎の景色も気分を上げてくれるし、色々と考えさせてくれる。
この景色に関連してちょっと書いてみようかな。
田んぼの色が変わってきた
ウォーキングの道中、その大半は「田んぼ」。
道の真横にあったり、堤防を歩くときは眼下にしたり、そして広がった景色として目に映ったりするから、年間を通じて変化があり1時間余りのウォーキングの楽しみになっている。
稲の切株が寒々した頃から、水のはられた水田になり、か細い稲苗が規則正しく植えられ、だんだんと株を増やしながら生育して一面が稲の青々とした色で埋め尽くされた。
そして、お盆が過ぎた頃からは、よく見ると稲穂が出来始めている。
近くでよくよく見ないときっと稲穂には気づかないと思うけど、遠くからボーっと全体的に見ると変化に気付くかも。
近くでよく見て気付かないのに、遠くでボーっと見て何が分かるの?って思うでしょ。
実は、遠くで全体を見ると色の違いを感じることが出来るんですよ。
そう、分かるんじゃなくって感じる程度で。
真夏の日差しの頃は凛とした、潔い青みがかった緑だったけど、このごろは少し柔らかく黄色がかった緑にへと変わってきている。
だから、何色って言えないほどの変化だから感じる程度。
しかも、その日のお天気や日差しの加減でも微妙に違っていて、一日一日の季節の進みはこれでは分からないけど、ちょっと前や少し前と比べると進んでるな~って分かってくる。
こんな事、数年前までは感じたこともないから考えることも無いけど、ウォーキングしながら色んな事を考えることが出来る。
だから、若いとか、未成熟とかっていう表現に「青」が使われてるんだな~、って改めて実感して腑に落ちて、納得。
こんな事が楽しくて、あぁ一生勉強ってこういうことか。
食材の変化から
食材で季節を感じることはとっても多い。特に野菜はその代表で春夏秋冬の顔になっている。
この時期は丁度交代の時期で、夏野菜がそろそろ終わりになってくる。
我が家ではほぼ100%自給自足で賄うので、とても敏感になる。
といっても、まだ夏野菜に頼っていて、品種が変わった訳ではない。
胡瓜、茄子、ピーマン、トマト、とうもろこしはまだご健在。
じゃあ、何が変わったの?って思うでしょ。
きっと、スーパーとかお店に並んでいる野菜ではそれほど気づかないと思うけど、例えばよく分かるのが茄子で、その違いは大きさ。
夏の盛りは大きくて、沢山成ってたけど最近はだんだんと小さな実になって来ている。
秋ナスって言われる時期になって来てるから、もちろん柔らかくてジューシーで甘くておいしいけど、朝晩が涼しくなってるから大きくならない。
胡瓜はこの天候不良でビックリするほどの高級野菜になったけど、やはり我が家でも採れなくなって来ている。
一時期は毎日30本ほど採れていたけど、今は一日3本~5本になっている。まぁ、それでも食べきれないから嫁にやってます。
こんな感じでどれもこれも季節の移り変わりを教えてくれて、その中で暮らしているって不便なこともあるけど豊かな感じもする。
と、こんなのんきなことも実は言ってられなくて、もうすぐ本当に夏野菜が終わっちゃう!
そうなると少しの間、端境期がやってくる。
野菜を買わない、買いたくない私には試練の時期がやってくる。
と言いながら、これはこれで楽しみながらやっていこう。
卵だって季節に敏感
もう2年以上卵は買っていないんですよ。
父の友人が鶏を飼い始めて、それからというものずっと卵は頂いたものを食している。
とにかく食べることが大好きで、何にでも拘ることが得意そして、興味を持ったら何でもチャレンジという共通項でつながっている。
「うまい卵」を食べたい。という話から「じゃあ、鶏を飼ってうまい卵をつくろう」となったらしい。
そして鳥小屋を建て、どの鳥がイイのか?どのエサがイイのか?どんな環境作りをするのか?を調べ、鶏を仕入れ、、、とこれだけで一冊本が出来るほど。
ちょっと脱線しましたが、話を戻して・・・。
その、いただく卵からも季節を感じることが出来て、
夏の暑い時はやや小ぶりだったのが、朝晩涼しくなってくると同時に少し大きくなって来ている。
餌や鶏の年齢によってもちろん違いもあるようだけど、産卵数も真夏は少ないとか。
こんな感じでほぼ自給自足しているから、値段の高い贅沢ではなく心で感じる贅沢が出来ているなって思いながら、感謝してます。
感じることって・・・。
少し前までは感じなかったって書いたけど、これは若かったから感じなかったのか?
じゃぁ、年取ると感じるようになるんだろうか?って考えてみたけど、どうだろう?
やっぱり、ビフォーアフターで大きく変わったことがその要因になっていると思う。
それは私の時間軸が大きく変わったと思う。
これは、サラリーマンの時とは全く違う。
追われていないし、追いかけてもいない。自分が軸にあって時間をコントロールできる。
だから、今ココに注目していられるし、スルーすることも出来る。
ずっと同じところに住んでいて、周りの環境もそれほど変わっていないけど今まではこんな事は感じなかったし、それほど尊いとも思わなかったな。
まとめると、スローライフってこういうことなんだろうな。
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